昭和名作館

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「狂った果実」~~裕次郎初主演作は、衝撃の結末。

狂った果実
1956(昭和31)年/日活
監督:中平康
出演:石原裕次郎/津川雅彦/芦田伸介/藤代鮎子/北原三枝/ハロルド・コンウェイ/岡田眞澄/東谷暎子


本作の二か月前に公開された『太陽の季節』で映画デビューした石原裕次郎が、
出演二作目にして初主演を務めた作品。いわゆる「太陽族映画」です。
裕次郎は初主演ながらも既にスターの匂いを漂わせる圧倒的な存在感を見せていますが、私個人的には、主演の裕次郎よりも弟役の津川雅彦に強烈な輝きを感じた作品でありました。


遊び慣れた夏彦(石原裕次郎)に対し、至って真面目で純粋な弟の春次(津川雅彦)。
春次は、駅で落とした帽子を拾ってくれた恵梨(北原三枝)に一目惚れする。その後、恵梨との再会を果たした春次は、彼女との逢瀬を重ねる内にどんどんのめり込んでいき、真剣に付き合うようになる。
ある日、夏彦が友人と一緒にクラブに遊びに行くと、そこには恵梨が男と一緒にいた。恵梨に詰め寄り問いただすと、一緒にいたのは夫だという。夏彦はこのことを春次に言わないかわりに、自分とも関係を持つよう恵梨に要求する…。


弟役の津川雅彦も兄らと一緒に遊んではいるものの、根は真面目でとても純粋であり、アンチ太陽族的な存在でもあります。

何かに苛立ち文句を言いながらも何もせず、ひたすら享楽を求める…不満分子集団のような裕次郎とその仲間たちなんですが、結局みんな、春次のような擦れてない純粋な人間のことが羨ましくて仕方がないのです。

北原三枝が演じる恵梨という女が、これまたよくわからない。
まだ二十歳という設定らしいですが、割と年齢のいった外国人の夫がいて、彼女もまた太陽族と同じく何かを抱え込んだような影がある。やってることはイケないことなんですが、こういう影のある女って、やっぱり何か惹かれるものがありますね。

夏彦は弟から恵梨を奪うわけなんですが、恵梨のことが好きというよりは、弟へ対する羨望とどうしようもない激しい嫉妬心、そして手に入れられないものがあるのが気に入らないという執着心から躍起になっているように感じられます。
しかし、このくらだらない兄のプライドが、とんでもない事態を引き起こします。

春次とキャンプに行くはずだった恵梨を奪い、ヨットで彼女を連れて海に出た夏彦。兄の友人(岡田眞澄)からすべての真相を聞かされ、血眼になって二人を追いかける春次。
二人を蔑んだ春次の冷たい目、二人が乗ったヨットの周りを春次がグルグルと回り続ける引きの画…これらはまるで二人に「地獄へ落ちろ」とでも言わんばかり。
そして衝撃のラストへ…。
『太陽の季節』の最後も衝撃的ではあったけど、本作はそれの数段上を行っております。

純粋さゆえの狂気と残酷さに満ち満ちた作品でありました。

 

これらの作品を観て考えるのは、結局のところ太陽族って何だったんだろうということ。

太陽族は当時社会問題にもなったようですが、それはアロハシャツに慎太郎刈りだとか不純異性交遊だとか、映画の表面的な部分ばかりを真似た結果がそのような事態に発展してしまったわけですよね。でも、石原慎太郎が描きたかった若者の本質というのは、決してそのような薄っぺらなものではなかったのでは。
たしかに倫理性に欠けるような描写は多々あるものの、「太陽族=単なる不良」で済ませようとするのはいかがなものか。それは、上っ面の部分しか見ていないからではないでしょうか。

戦後の大きく時代が変わりゆくうねりの中で、何か鬱屈としたものを抱えた若者の深い根っこの部分に渦巻くものは何なのか。

太陽族映画で描かれている学生たちというのは、終戦当時は就学するかどうかという年齢だったと思うのですが、幼い頃から信じ込まされていた「神話」が終戦により全て崩壊してしまい、それまで正しいと思い込んでいた価値観はなんの意味もなさないものになってしまったわけですよね。何を信じてよいのかという不信感や、この先どう生きて行けばよいのかという迷いは子ども心にも少なからずあったはずで、それが幼い純粋な心に影を落とした結果が太陽族の誕生に繋がったのではないかと考えてしまったりするのです。
同じ時代を生きてきた人間でも真面目に必死に生きてきた人たちはいたわけで、太陽族みたいなのは甘えだ堕落だというご意見も当然あるでしょう。しかし、太陽族というのは実はとても不器用で弱い人間の集まりで、その繊細さゆえに誕生した悲劇とも思えるのです。

人間、衣・食・住が揃って生活に余裕が出てくると不満が外に向かいがちになる…というのを何かで読んだことがあります。
映画に出てくる太陽族は裕福な家庭で育った若者たちなのですが、裕福であるが故に暇を持て余して外に発散の場を求めた結果がこれだったんでしょうかね。終戦直後の貧困と混乱の中では、このような若者などいなかったでしょうし。
どんなに裕福になったところで空虚な心は全く満たされなかったという悲しさも感じます。

まぁ、私はこの時代には生まれておりませんので、ここに書いたことも全て憶測でしかないのですが、でも太陽族映画は単なる不良映画ではないということだけは確かだと思います。